『35歳の教科書』は私の人生のコンパスだった

「組織に頼らない生き方なんて、私に出来るだろうか……?

でも、もしそうできたら、すごくエキサイティングだ」

リクルートの大先輩である藤原和博さんがお書きになった

35歳の教科書』を手にしたのは7年前。

私がまだ27歳だった頃だ。

以来私は、この一冊を人生のコンパスとして生きて来た。

同書の冒頭に書かれた

「組織に埋没するのではなく、

自立した個人として人生を設計し、

プランニングして、オリジナリティの高い人生を歩んで欲しい」

という藤原さんのメッセージにとても感動したからだ。

ただ、初めてこのメッセージに触れた時は、

自分にはとても実現不可能なことなのではなかろうか?

と感じた。

と言うのも、当時の私は、

ビジネスマンとしてのスキル、あり方、経験、

どれもこれも平均点以下だったのだ。

さっぱり売れなかったリクルートでの落ちこぼれ生活から抜け出し、

公益財団法人東日本大震災復興支援財団に転職したばかりの頃でもあった。

ソーシャルセクターという未体験の領域で、

どんな未来が待っているのか全く想像することができず、

したがって、成長のイメージも湧いていない時期だった。

ましてや、その後のキャリアのことなど!

ビジネスセクターへ戻るのか、

ソーシャルセクターに残るのか、

東京で働き続けるか、

地元仙台へ戻るかなど、

無数に選択しがあった。

そんな不確かな状態だったからこそ、

むしろスイッチが入ったのかもしれない。

35歳までに強みを構築して、

自分にしかできない仕事で溢れる毎日を過ごしてやる!

これが私の大目標となった。

それからの5年間では、

NPO団体への助成金事業、

スポーツを通じた人材育成事業、

プロジェクト・ベースド・ラーニングを通じた人材育成事業など、

たくさんの業務経験を積ませていただいた。

少ない人数で全力ダッシュしているような組織だったので、

次から次へと仕事を預けていただけたのは本当に幸運だった。

これらの事業の中には、

ファシリテーターとして100人を超す人々の前に立つような華々しい業務もあれば、

募集要項などの書類作成や報告書のチェック、

プロマネなどの地味な業務もあった。

申請書の読み込みや、面接など、

言葉の裏側に秘められた背景や想いを汲み取る必要がある、繊細な業務もあった。

慌ただしい日々だったけれど、

先輩や上司が惜しみなく指導をしてくれたことには、本当に感謝しかない。

おかげで、私の戦闘力は日増しに向上していった。

中でも、伸ばしていただき有難かったなあと特に感じるスキルが、2つある。

ひとつは日本語を書く力だ。

私は正直

「それなりに日本語が書けている」

と思っていたのだが、先輩の指導は厳しかった。

「相内君、この単語はどういう狙いで使ったの?」

「この単語の意味、正確に分かっている?答えてみて?」

「この文章ごちゃごちゃしてて読みにくいからスッキリさせて」

「これだと誤認が生まれる可能性があるから、事実を正しく書いて」

などなど、何度文書を直されたか分からない……。

いま思い出してもウンザリする……。

23時台の終電も無くなるまで細かくチェックされ続けた時は、

あまりにもイライラして、

「この書き方で意味が分からない日本人がいるんですか? いるなら連れて来てくださいよ!」

などと突っかかったこともあった。

今思えば大変恥ずかしい。

先輩は呆れたような顔をしていたが、

その後も変わらず、厳しく文書を見てくれた。

おかげで私は、

正しく意味が伝わる文書を作成することができるようになったし、

相手の気持ちを想像しながら言葉を連ねる習慣が身についた。

そうしたら結果的に、全ての仕事が、圧倒的にスムーズに進むようになった。

もうひとつは、物事を構造的に整理する力だ。

私の上司は

「世界は図表で現すことができる」と常々公言していた。

そのため提案資料を持って行くたび、

「これグルーピングがおかしくない?」

MECEになっている感じがしなくて気持ちが悪い。何かが抜けてそう」

「情報が適切に整理されていないから判断できない」

など、構造化がうまくできていない部分をしこたま指摘された。

こちらも先輩の時と同じように

(そこまでしなくても分かるだろうよ……)

と思って仕方がなかったが、

上司の言う通りに資料を作り続けるうち、 

段々と上司の言う「気持ち悪さ」が分かって来た。

ひとつのフレームに

適切に情報が列挙されていない資料は、

それだけで確からしく見えないのだ。

これには本当に驚いた。

私はいままで、いかに勿体ない資料を作ってきたのかと愕然ともした。

決まったフレームの中に情報を落とし込むためには、

具体的な事実を、抽象的な思考を用いてグループ化する、

という手順が欠かせない。

おかげで苦手だった、

抽象と具体を行き来する思考力が身に付いた。

並行して2年間通ったコミュニケーションとコーチングの講座では、

人が前進するためのポイントや、阻まれるポイント、

多様な人々と円滑にコミュニケーションを行うためのあり方やスキルをたっぷり学んだ。

そうこうしているうちに、

私のワークショップに参加してくれた仲間たちから、

ワークショップの出来について褒められることが突然に増えた。

人間誰しも

褒められて悪い気はしない。

褒められることが続くうちに

私に向いているのはこれなのかも!?

と自然と思うようになった。

何より、ワークショップのことならどれだけ考えていても飽きない。

これが決め手だった。

ワークショップデザイナーとしての独立は

最初から狙っていたわけではなく、

コンパスが指していた、

「組織に埋没するのではなく、

自立した個人として人生を設計し、

プランニングして、オリジナリティの高い人生」

という方向を目指した結果、偶然道が開いただけに過ぎない。

でも、この方向を目指したからこそ、

様々なご縁が重なって

この道を示してくれたのだろうと思う。

2020年の44日、私は35歳になった。

改めて『35歳の教科書』を読みかえしてみたところ

書いてある項目の多くを達成してきた7年間だったことがよくわかり

とても感慨深い気持ちになった。

どうやって到達したらよいのか

まるで想像もできなかった地平に

今自分が立っているということをとても嬉しく感じた。

世の中には

7年前の私のように

どうやって目指す未来に到達したら良いのかまるで分からない

と嘆いている人が多くいると思う。

そういう人にこそ

35歳の教科書』をぜひおススメしたい。

この本はきっとあなたに目指すべき方向と、

そこへ到達するための柔らかな考え方を授けてくれるはずだ。

対話をもっとおもしろく。

相内 洋輔

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