キャンプファイヤー
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場作り屋の相内です!

私は仙台を拠点にワークショップの企画運営やファシリテーション、

コーチングなど、人が前進するための場作りを行っています!

 

先日山形でセッションを行い、仙山線に揺られながら思案に耽っていました。

山形には私が青春を燃やした蔵王の山々があります。

当時の年頃は17~22歳。

少年から青年へ変わっていく時期でしたから、

穴があったら入りたいような失敗もたくさんありましたし、

前進が感動に打ち震えるような至高体験もたくさんありました。

 

今日はそんな昔の話しから、私のほろ苦い失敗と学びを共有させていただきます。

 

2004年 青かった夏

私が初めて大学生として、

ラボ教育センターという団体が主催している

サマーキャンプの運営スタッフに携わった時のことでした。

 

私は高校時代からこの組織の中では全国的に顔が売れていましたし、

様々な能力もあり、意識も高い。

だから当然、私こそがリーダーにふさわしい!と考えていました。

(なんて鼻持ちならないヤツ!)

 

そこで先輩大学生のあり方、

企画書のクオリティ、

ルールを守れない態度など、

事あるごとに彼らの存在を真っ向から否定していたので、

毎週のMtgは常に荒れ模様でした。

今の私から考えたら狂気の沙汰としか言いようがないのですが・・・。

 

そして夏。

キャンプの本番が始まり、事件は起きました。

 

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最大の見せ場での失敗

キャンプは3泊4日で行われ、300人ほどのキャンパーが参加します。

盛り上がりが最高潮を迎えるのは、3日目の晩に行われるキャンプファイヤー!

 

大きな火を囲み、

キャンプソングを歌って踊り、

フィナーレではみんなが別れの涙に包まれます。

 

このフィナーレではキャンプを運営する大学生スタッフのリーダーが、

伝統的な出し物を披露する慣習がありました。

 

私は当然自分がリーダーだと思っていましたので、

演者に立候補し、半ば強引にその役に着きました。

オレが一番上手くやれるに決まってるだろ!?

そう主張して。

 

カンの良い方はもうお気づきですよね?

 

そうなんです。

 

私は最高潮に盛り上がるキャンプファイヤーのトリで、

先輩の大学生から奪い取った演目で、

300人のキャンパーの前で、

見るも無残な演舞をしてしまったんです。

 

私は全身から血の気が引いて行く感覚を携え、

崩れるように舞台から降りました。

 

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失意の底で触れた優しさ

演台から降りた私は、

顔を上げることができませんでした。

目は虚ろで焦点も定まりません。

 

もちろん、

周りの大学生スタッフがどんな顔をしているかは、

恐くて確かめられるはずもありませんでした。

 

それからの数分の記憶は定かではありません。

気づくといつの間にかキャンプファイヤーは終わり、

私はホテル前の階段に力なく座り込んでいました。

 

やってしまった・・・・。

やってしまった・・・・。

 

頭の中ではこの数文字が延々とループしています。

 

私は若い頃は大口を叩くタイプではあったものの、

手痛い失敗はしたことがありませんでした。

 

そのため初めての大失態に直面し、

どんなふうに振る舞ったらいいのか、

全く見当がつかないほどアップセットしてしまったのです。

 

プライドが邪魔をして、

みんなに謝ろうという発想も浮かびませんでした。

 

ただただ、今すぐ消えてなくなりたいと思っていました。

 

すると一人の先輩大学生スタッフが私のほうへやって来ました。

 

彼女はびくっと身構える私をよそに、

「大丈夫だよ。後半の3泊4日で挽回しよう!」

とだけ言い残して、キャンプファイヤーの片付けに向かいました。

 

え・・・・?

それだけ・・・・・?

 

というのも彼女は私がずっと自分より低く扱っていたスタッフの一人でした。

きっと私への怒りや憎しみが溜まっていたと思います。

 

日ごろのうっ憤を晴らすにはもってこいのシチュエーションですから、

文句の一つ、捨て台詞の一つでも吐いたらさぞ気持ちが良かったでしょう。

それ見たことか、ざまあみろと!!

 

ところが、彼女の口から出てきた言葉は私への励ましでした。

ほんの数秒間の出来事でしたが、私は自分の器の小ささに直面させられました。

 

隠さずに伝えると、私はそれから、さめざめと泣きました。

ほんのわずかな余地を残す

2018年。

あれから14年が過ぎ、

少しはマシな人間になったような気もすれば、

本質的にはそう大して変わっていないような気もします。

 

なぜなら

もう二度と人をジャッジしたり見下したりはしない!

と何度も心に誓いを立てましたが、

ふとした隙にモクモクと湧いてくる思考を止めることは未だにできません。

至高のクセや性質は、そう簡単に変わらないようです。

 

ただ、安心してください。

この体験から私が皆さんに伝えたいポイントは、

善人になれ!ということでは全くありませんから。

 

私がお伝えしたいのは、

人に最終ジャッジを下すのは墓場に入る瞬間で遅くない!

ということ、ただ一点です。

 

私はこの体験のように、

何度も人をジャッジしては痛い目に遭いました。

 

この人は仕事ができないと決めつけていた人が助けてくれたり

 

この人とは二度と関わらないと決めていた人と協働することになったり

 

絶対好きになどなれないと決めていた人を大好きになったり。

 

逆もあって、

この人はなんて素晴らしい人なんだ、ずっとついて行こう!と決めていた人と絶縁したり

 

色々なことがありました。

 

いずれのケースにしても

 

この人は〇〇〇だ!

それは不変だ!

 

と決めつけてしまっていたことで、

関係修復を困難にしてしまったり

新たな展開に立ち遅れたり

ショックを長く引きずったりしてしまいました。

 

もちろん嫌いな人は嫌い!

でかまいません。

 

でも、

今は〇〇〇な状態だから嫌い(未来では分からないけどね)

という余白だけは残しておいたほうがお互いハッピーだと思うのです。

だからこの記事では、人に対してジャッジしきらないことをおススメさせてください。

 

10年後、20年後、30年後、またどこかで会うことがあるかもしれなくって、

そしてそれだけの年月があれば、人はどれほど変わるのか、想像もつかないじゃないですか!

 

ちょっとだけの心の余地が、

いつかあなたと、あなたの周りの人を救う時があると思うから。

 

私も当時の大学生スタッフと、

いつかノンビリ談笑でもしながらお酒を酌み交わす日が来たらと願うばかりです。

その時はあの時の非礼を詫びたいと思っています。

 

人生を自分らしく!

相内 洋輔

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