億単位の借金によって家族関係が壊れ腐っていた高3の自分が変われた「ある一言」とは

初めまして、相内 洋輔(あいない ようすけ)と申します!

私は人の前進を応援したい!

という気持ちから、

仙台を拠点にワークショップの企画運営やファシリテーション、コーチングなど、

人が自分の素直な気持ちに触れるための場作りを行っています!

 

こうした思いを抱くに至ったのは、

私が高校2年生の頃に、

自分では変えることができない環境に心が挫け、

投げやりな日々を送り、

出口の見えない毎日を過ごしたことがあるからです。

 

あの時に感じた人生に対しての無力感、閉塞感は、すごく苦しいものでした。

 

この記事では私がどんな体験をし、

「人が自由に前進できるように応援したい!」

と思うようになったのかをご紹介させていただきます。

 

突然の通告

伝統ある進学校『仙台一高』へ入学した私は、硬式野球部へ入部。

甲子園を目指して毎日白球を追いかけていました!

 

メンバー入りした新人戦では県大会でベスト4!

順風満帆な高校生活が楽しくてしょうがなく、

こうした日々が続いていくことに一片の疑いもありませんでした!

 

ですが、そんな私の毎日が一転したのは高校2年生の時です。

 

自営業だった我が家には億円単位の借金があったのですが、

突然、銀行から一括返済を求められたのです。

 

親族を含めて大混乱の日々が始まりました。

 

いら立ち焦る大人たちの様子は重苦しく、

我が家は頻繁に怒号や食器などが飛び交うように・・・。

 

悪化していく親族どうしの関係も、

私には手の打ちようがありませんでした。

 

大好きだった祖父母とも疎遠になりました。

 

そんな閉塞感に覆われた日々が数カ月と続くうちに、

私は糸がぷつんと切れたように、

真面目に努力を重ねるのが馬鹿らしくなっちゃいました。

 

だって、なんか頑張ってみたところで、どうにもなんないんすもん。

5億ってサラリーマンの一生分の給料でもまだ足んないし。

それを今すぐ返せとかww

詰んだw

 

それからというもの、私は着実に堕落の道へと進んで行きました。

 

まず始めに、

幸せそうな級友と関わるのが嫌になって、

昼は薄暗くカビ臭い部室にこもり、1人でひっそりとごはんを食べました。

 

小さな嵌め殺しの窓から漏れてくる外光をぼんやりと見つめている時、

寂しくて仕方ない一方で、なんだかすごく穏やかな気持ちになれたんです。

 

素行は目に見えて悪化しました。

まず開放的な気分になりたくて髪を金髪に。

安全ピンを耳に突き刺したたままプールの授業に参加して、

声が枯れ汗だくになるまでカラオケに入り浸りました。

 

授業中の教科書は漫画に持ち変え、

漫画に飽きたら女の子にメールをして過ごしました。

部活には行かなくなりました。

 

意味ないもん。

プロ野球選手になれるわけじゃないから。

ダルビッシュの投球見たらムリってわかるし。

 

代わりにヒマになった放課後は、

憂さ晴らしの煙草を吹かし(あの頃はまだとっても緩い時代だったので・・)

口説けそうな女の子に片っ端から連絡をして過ごしました。

 

ぶっちゃけ居場所が欲しったんです。

家には落ち着ける余白が無かったし、もちろん学校にも。

 

だから手っ取り早いのが、

同じように寂しさを抱えた女の子と一緒にいることだったんです。

 

これは結局、虚しさをいたずらに助長しただけだったし、

付き合ってくれた女性のことを思い返すと今でも少し罪悪感が湧くのだけれど、

他に方法がわかんないくらい幼い自分だった。

 

こうした生活が半年も過ぎた頃には、

ほとんどのテストが30点以下になり、

全く理解できなくなった数学は0点を連発しました。

 

先生からは何度も何度も怒鳴られた(笑)

 

でもその時はもういろいろな感覚が麻痺していて、

少しも怖いと感じなかったし、

自分がヤバイ方向に進んでいるとも自覚できませんでした。

ただただ、ほうっておいて欲しかったんです。

 

この広い世界でぼくは、たった一人。

誰もこの辛さを分かってくれない。

 

本気で本気でそう思ってた!!

 

前進したくても動けなかった日々

そんな私は高校3年生になって、

ようやく進路のことを考え始めました。

これがとても苦痛で・・・。

 

うちには大学に行けるお金があるのかも分からなかったんですよ。

というかお金の話しはしちゃだめだと思ってたから聞けなかった。

 

そして学力的には、全国模試の偏差値はどの教科も40前後。

 

高2のほぼ全てを無気力に過ごしてきた私には、

叶えたい夢や、就きたい職業、学びたい分野などもありませんでした。

 

弟、妹のことを思えば、働いたほうがいいのかもしれない。

でも同級生の99%は大学へ進学する高校です。

自分だけ就職することなど全く想像できない。

今の状況でさえさえ著しく負け組だと感じているのに・・・、

そんなこと耐えられない。

 

でも外界との交流を避けていた私には、

悩みを相談できる人が誰一人いませんでした。

 

どうしたらいいのかまるで分からず、

霧の中で途方に暮れるばかり。

 

そして日に日に、

焦る気持ちが増していきました。

 

目を覚ますきっかけをくれた恩師の一言

部活の顧問だった先生に呼ばれたのは

こんなタイミングでした。

 

ああ、また叱られるのね。どうぞどうぞ。

 

と思いながら、

だらだらと向かった部屋で、

先生は開口一番に仰いました。

 

「あなたは今、人生を、自分で終わらせようとしています」

 

そして間髪を入れず、

 

「あなたの人生なので、どうするかは自分で考えなさい」

 

と言い残して部屋から出て行ってしまったんです。

 

わずか1分足らずの出来事でしたが、

まるで雷にでも打たれたかのような衝撃を感じ、

私はその場から動けなくなってしまいました。

 

その後の授業に出席したのかもよく覚えてない。

ただただ先生の言葉を思い返し、何度も何度も噛みしめました。

 

私は今のままでいいのか・・・?

 

自問するうちに、

環境のせいにして、

挑戦することや困難と向き合うことから目を逸らしてきた、

小さな自分の存在が見えてきました。

 

その時にようやく、

置かれた環境は選べないけれど、

その中に何を見て、どんな行動を起こすかは、全て自分で自由に選べる!

ということに気づいたんです。

 

雷にでも打たれたかのような衝撃で、

すーっと凍っていたものが溶けた瞬間でした。

 

私は翌日から一念発起し、

朝は7時から、夜は日付が変わるまで、ひたすら机に向かい続けました!

 

目の色を変えて取り組んだことが先生方にも伝わったんだと思います。

たくさんのサポートをいただき、

私はなんとか現役で宮城県立宮城大学に合格できました。

センター試験D判定からの大逆転でした!

 

高校の卒業式にて母と

高校の卒業式にて母と

 

苦しかった日々と、その回復の過程から学んだこと

私はこの体験から、

人は、前進したい・・!

ここから抜け出したい・・!

と思う前向きな意欲に反して、

新しい行動を起こせなかったり、

時にはその気持ちをごまかし、

すり替えたりしながら巧妙に諦め、

上手に環境のせいにして、

あるいは自らできない理由を作り出してまで、

自分を止めてしまう性質があることを学びました。

 

そして、私の人生の大きな幹となっている、

啐啄同時(そったくどうじ)という言葉と出会うことができました。

 

これは私が人と関わる上で大切にしている禅の言葉です。

啐啄同時

 

鶏のひなが卵から産まれようとする時

カラの中から卵をつついて音を立てることを「啐」

 

その時に親鳥が外からカラをついばんで

破ることを「啄」と言うそうで、

 

この「啐」と「啄」が同時であってはじめて、

カラが破れてひなが産まれる。

 

その様子から転じて、

機が熟して悟りを開こうとしている弟子に

師がすかさず教示を与えて、

悟りの境地に導くことを意味します。

 

「人生が終わりますよ?」と諭してくださった先生は、

私の焦りが表面化し、機が熟すのを見計らってくださっていたのだと思います。

 

そのおかげで私は反抗したくなる気持ちが生まれず、

自分自身の甘さに健全に絶望し尽くせたことで、

前進するための意欲がすーーっと湧いてきました。

だから全力で走り直すことができたんです。

 

私はこうした経験から、

前進を願う人の気持ちをタイミング良く引き出し

応援できる自分でありたい!

と思うに至りました。

 

終わりに

私はいま、コーチングやコミュニケーションの深淵さを学び、

もともと得意だったワークショップの企画運営に磨きをかけ、

「人が自分の本当にやりたいことに気づいて現実に違いを創る空間」

を生み出せていることにとてもやり甲斐を感じています!

 

ワークショップやコーチングって、

決して何かを押し付けたりせず、

あらかじめ答えを設けたりもせず、

ファシリテーターやコーチが相手の心の動きに寄り添いながら、

ワークの構成や問いかけを選択することからどんどん場が変化していって、

これなら納得!!

とその人自身が手ごたえを感じられる気持ちやアイディアに辿りつく場。

 

まさに「啐啄同時」であることがとても気に入っています!

 

私はこうした背景から、

人が自由に自分の意図に沿って前進できるようこれからもたくさんの場を作り続け、

「あ!これをやりたい!やってみよう!」

と一歩踏み出す人をとことん応援していくと心に決めています。

 

ぜひこの記事を読んでくださったあなたとも、何かご一緒できたら嬉しいです!

カタリバ 東北カイギにてファシリテーションしている様子

長文を最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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相内 洋輔

億単位の借金によって家族関係が壊れ腐っていた高3の自分が変われた「ある一言」とは” に対して1件のコメントがあります。

  1. 藤原 直 より:

    ご自身の経験から環境のせいにせずに自分の行動が人生を変えることを実践されている姿に元気をもらいました!

    1. Yosuke Ainai より:

      藤原さん、コメントをいただきありがとうございます!

      暖かいお言葉が励みになりました!

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